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姫路城下でしか見られない?!町ぐるみの防御施設とは?

待ち伏せ

姫路城は、白亜で有名な天守群を筆頭に、江戸時代の姿をそのままに残していることは有名ですね。

そういった建物だけではなく、外堀も含めた縄張り遺構が状態良く残されています。

姫路城の縄張りは、北側が閉じていないという、少し特殊なのですが、閉じていないことで、弱点になっています。

しかし、あれだけ堅牢な本丸を持つ城なのに、何の手も打っていないわけではありません。

一体どんな仕掛けをしていたのでしょうか?

途切れた水堀の場所とは?

ここでまず、姫路城の外郭北側がどこにあるのか、確認してみましょう。

姫路城は、主郭部分になる本丸から、二の丸、三の丸を含む内堀があり、主要な家臣が住む中堀があります。

さらにその外に商人が住む外堀に囲まれています。

多くの城跡は、外堀まで綺麗に残っていることはほとんどありませんね。
たいてい、市街地再開発で無くなっています。

比較的良好なのは松本城ですが、堀が埋め立てられ、道路になっています。
上空から道路の形を見ると、外堀の名残を見ることができます。

姫路城の場合、地図で見ても、外堀のほとんどが暗渠となることなく残っていることが分かります。

外堀を東側から堀に沿って北に辿っていくと、城郭の北東方面でプッツリと途絶えています。

姫路城の古地図も、このあたりで堀が終わり、町が存在しているので、開発のために堀が無くなっているわけでは無いことが、はっきりしています。

姫路城はここを起点に、本丸まで螺旋状に縄張りが続いている珍しい縄張り(渦郭式(かかくしき))で、同様な縄張りで造られているのは、江戸城丸亀城が知られています。

塀が無いことで生まれた工夫ノコギリ横丁とは?

外堀が無い場所ということは、敵に攻められたときに弱点となる場所となります。

そこで、生まれた工夫が、ノコギリ横丁と呼ばれる路にあります。

城の北側に位置する”野里(のざと)”では、道路に対して少し斜めに家を建てられています。

そのため、家に沿った境界がノコギリ状になっていて、そのため「ノコギリ横丁」と呼ばれるようになりました。

そんな形に家を建てたのには、防衛上の理由があります。
家を道路に対して斜めに建てることで、外から城に向かってくる寄せ手に対し、死角が生まれます。

そこに兵を隠しておき、寄せ手を充分に引き付けた所を、隠れていた手勢が攻撃を仕掛けるという奇襲作戦です。

よく、街道の筋を違えて死角を作る工夫は知られていますが、ちょっと変わったアイデアですね。

ここ”野里(のざと)”に来ると、今でもノコギリ横丁の名残を見ることができます。

野里地区

まとめ

堅牢を謳われた姫路城は、広大な城域を持ち、その名残を堀に残しています。

しかし、その外堀は、城の北側に到達するとプッツリと途絶えてしまいます。

街の開発によって無くなったのではなく、外堀を造った当初から、外堀は閉じない形で造られました。

そのため、防御の手薄な北側には、弱点を補うように工夫が仕掛けられました。

それが「ノコギリ横丁」という名で残っています。

姫路城を訪れたなら、天守以外にも、人知れず外堀の代わりを果たしていたこの地を訪れてみたいものですね。

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