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姫路城の名所「好古園」はどんな所?

好古園

姫路城には、「好古園(こうこえん)」という庭園が整備された一角があります。
場所は、中曲輪内の「大手門駐車場」の正面ですが、かつては”西屋敷”と呼ばれた位置にあります。

なぜ、「好古園」という名前なんでしょうか?
また、どういった園なんでしょうか?

「好古園」の名前はどこからついた?その由来は?

姫路城の”西屋敷”跡にある「好古園」の名前は、元々この場所にあった、”あるもの”にちなんで付けられました。

その”あるもの”とは、「藩校」です。

江戸時代に、「好古堂(こうこどう)」という藩校がこの場所にありました。

藩校とは、字の通り”藩が運営する学校”を意味します。

今でいうと、市立の学校といったところでしょうか。
学校といっても、城の中にある学校なので、一般庶民が入る学校ではなく、武士の子息などが入る学校でした。
ここでは、今でいう、国語や数学、社会といった勉強や、武術や水泳といったものを学びました。

藩校の中には、明治維新を経て、現在の高校や大学の前身になったものもあり、教育水準の高さを伺わせますね。

好古堂は元々、現在の群馬県前橋市で始まりました。

酒井 忠恭(さかい ただずみ)が上野国(こうずけのくに)前橋藩の藩主の時に創設し、姫路へ転封された時、姫路に同じ名前の藩校を移設したことにより、姫路城下で名前を残すことになります。

遺構を元に再現された庭園

現在の「好古園」は、回遊式の日本庭園になっています。
日本庭園といっても、観光のために一から設計されたものでもありません。

好古園は、「西屋敷」と呼ばれた場所にある、と先に書きましたが、まさに、お屋敷が存在していました。

姫路城整備の時、武家屋敷の礎石などが発掘されたことから、この遺構を活用して、庭園が造られています。

再建された屋敷群も、できるだけ江戸時代の建物を参考に造られているので、雰囲気はとても良いです。

時代劇の撮影にも利用されているので、どこかで見たことがある風景に出くわすかもしれませんね。

藩校の面影はありませんが、古きものを学ぶという精神は受け継いでいるようです。

まとめ

姫路城下にある、「好古園」は、回遊式の日本庭園ですが、名前の由来は、酒井忠恭がこの場所に開設した藩校にありました。

好古園は9つのエリアに分かれていますが、一帯を調査した際に発掘された礎石を元に建物などが造られ、出来るだけ当時に忠実に再現されています。

訪れてみると、江戸時代の雰囲気一杯の庭園を味わえることでしょう。

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