井伊氏が関係した8つの城とは?

井伊直政像

ドラマで注目を集める「井伊直虎(いいなおとら)」は、
直政(なおまさ)を教育した人物ですね。

その直政は、徳川家康(とくがわいえやす)に仕えると、
才能をいかんなく発揮して、大きな信頼を得ました。

そして、家康の家臣として出世し、
彦根に30万石をいただく、大名になります。

井伊家にとって、繁栄の礎を作った、
中興の祖(ちゅうこうのそ)といえるでしょう。

直政が出世するまでは、
井伊谷城(いいのやじょう)が本拠でしたが、
出世すると井伊氏としては合計8つの城に
関係することになりました。

井伊氏の関係した城は、どこにあったのでしょうか?

直政が関係した4つの城

井伊谷城(いいのやじょう)

場所:静岡県浜松市北区引佐町

井伊氏の本拠地として、平安期に築城後、
約500年にわたって使用されました。
彦根に本拠が移ると廃城になり、現在に至ります。

建物類は、移築や再利用されたとみられ、
残されていません。
直政が生まれた地でもあります。

箕輪城(みのわじょう)

場所:群馬県高崎市箕郷町

直政が家康の命で、最初に入ったのが箕輪城でした。

もとは長野氏が築城した城で、
何度も上杉氏と武田氏、北条氏に狙われた地です。

直政が入った時は、まだ中世の城の趣を残していた
箕輪城を、石垣や櫓、縄張りの拡張などを行い、
近世城郭に改修しました。

しかし、完成間もなく「高崎」へと
移動することになります。

高崎城(たかさきじょう)

場所:群馬県高崎市高松町

もとは、和田という地名でしたが、
直政が移った際に、”高崎”と改名した地です。

烏川に面した場所に和田城があり、
その和田城に隣接する形で高崎城を築城します。

井伊氏の後に入った安藤氏によって、
手が加えられました。

直政の築城の時、現在の三の丸よりさらに外に、
遠構(とおがまえ)という、
町を囲むほどの曲輪を設けましたが、
その後徐々に無くなってしまいました。

しかし、この城は、2年ほどで離れることになります。

彦根城(ひこねじょう)

場所:滋賀県彦根市金亀町

直政は、関ケ原の戦いで活躍し、その評価で加増を受け、
近江国の佐和山城に入ることになりました。

しかし、佐和山城は
関ケ原の戦いの大将・石田三成(いしだみつなり)
の居城であったため、
その近くに彦根城の築城計画をします。

彦根城は、幕府が西国の大名に対する城としても
重要視されました。

そこで幕府は、諸大名も築城の負担を負う
”天下普請”で築城します。

直政自身は、関ケ原の戦いで受けた傷が元で、
彦根城を着工する前に、この世を去っています。

彦根城天守は、当時の様子を残した”現存天守”で、
国宝に指定されています。

井伊氏は江戸時代を通じて、ここ彦根から
転封を命じられることなく、明治維新を迎えました

直政没後に関わった城

安中城(あんなかじょう)

場所:群馬県安中市安中

直政の長男・直勝(なおかつ)は、
幕府の命で彦根を弟に譲り、支藩として安中に入ります。

この地には、安中氏によって築かれた
”安中城”がありましたが、井伊氏が入ると、
近代城郭化されました。

現在はの城跡は、市街化が進んでいますが、
少しは面影も残っており、
下級武士が住んだ武家長屋が現存しています。

正保2年(1646年)に、安中を離れ、
西尾に転封になります。

西尾城(にしおじょう)

場所:愛知県西尾市錦城町

井伊氏が入ったころの西尾城は、
ほとんど完成していた城です。

井伊氏の代に、西尾城の総構えが完成されたという
記録が残っています。

現在の西尾城は、建物の復興が進んでおり、
見どころの多い城となっています。

支藩の井伊氏は、ここからさらに、
掛川に移る事になります。

掛川城(かけがわじょう)

場所:静岡県掛川市掛川

万治2年(1659年)に井伊氏は掛川城に入ります。

掛川藩はたびたび藩主が変わっていて、
城の改築も、そのたびに行われていたようですが、
井伊氏が改築にどのように関わったか、
詳しくは分かっていません。

掛川城そのものは、1590年頃にこの地に入った、
山内一豊が築いた縄張りが、基本となって残っています。

直勝の系譜を継ぐ井伊氏は、
掛川からさらに与板藩に転封となります。

与板城(よいたじょう)

場所:新潟県長岡市与板

掛川から与板への転封は、降格が理由でした。
当時の主君・井伊直朝には精神疾患があり、
参勤が出来ないほどだったといいます。

本来なら改易(大名の資格を剥奪されること)
となってもおかしくないほどの事でした。

改易を免れたのは、直政以来の功績があるため、
彦根藩から跡継ぎが入ることを、
幕府が特別に認めたことによります。

しかし、与板藩は無城となり、
陣屋で政務をとる事になります。

その後、文化元年(1804年)には、
城主格として再び認められ、陣屋が城に昇格しました。

遺構は市街化によって残っていませんが、
石碑と冠木門が復元されています。

井伊氏ゆかりの城を訪れるには

井伊氏の関わった城は全部で8城あり、
滋賀県、静岡県、愛知県、群馬県、新潟県にありました。

滋賀県に彦根城、新潟県に与板城のそれぞれ一つ。
群馬県には、箕輪城、高崎城、安中城の3城。

愛知県、静岡県の東海地方に、
西尾城、井伊谷城、掛川城と等間隔で3城あります。

与板城を除けば、北関東と東海地方のエリア
分かれています。

長期休暇の時に、計画してじっくり訪れるのも
良いですね。

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