誰が伏見城を築いた? その人はどんなことをした?
伏見城を築いたのは豊臣秀吉です。
晩年の秀吉は、天下統一を果たし「太閤」と呼ばれる存在となっていましたが、その一方で、後継者・豊臣秀頼をどう守り立てるかという大きな課題を抱えていました。
秀吉は政権の中心を大坂城から京都の伏見へ移し、政治・外交の舞台を京の都のすぐそばに置くことで、自らの威勢を誇示すると同時に、後継体制を盤石にしようとしたのです。
伏見城は豪華絢爛を極め、各大名に普請を分担させることで、その忠誠を確認する場にもなりました。
大河ドラマ「豊臣兄弟」では、兄・秀吉と弟・秀長の信頼関係や、秀長亡き後の政権の不安定さがどのように城づくりに影響したのかも注目点といえるでしょう。
伏見城でどんな出来事があった?
伏見城は、豊臣政権の象徴であると同時に、その終焉を告げる舞台にもなりました。
秀吉はこの城で最期の時を迎え、幼い秀頼の将来を家臣たちに託したと伝わります。さらに、関ヶ原合戦前夜には、徳川家康がこの城を拠点とし、政治の主導権を握る布石としました。
そして慶長5年(1600)の「伏見城の戦い」では、石田三成ら西軍に攻められ、鳥居元忠率いる徳川方の守備隊が奮戦の末、壮絶な最期を遂げました。
この籠城戦は、関ヶ原本戦の行方を左右する重要な前哨戦であり、伏見城は歴史の分岐点を刻んだ場所といえるのです。
伏見城にはどんな言い伝えがある?
伏見城にまつわる伝承の一つに「金の茶室」の逸話があります。
秀吉が誇示した黄金文化の象徴である茶室は、大坂や聚楽第だけでなく、伏見にも移されたと伝わります。また、慶長伏見地震で城が大きな被害を受けた際、城の一部が崩落して多くの人が犠牲になったとされ、その跡地には不思議な霊が出るという噂も残されています。さらに、鳥居元忠の忠義を讃え、籠城戦で戦死した武士たちの魂が城跡に眠るとされ、現在も地元では「忠義の城」として語り継がれています。
こうした伝承は、華やかさと悲劇が同居する伏見城のイメージをより鮮烈にしています。
伏見城は現在どうなってる?
現在、伏見城は本丸や天守を完全な形では残していません。江戸時代に入ると、城は解体され、その資材の多くは二条城や福山城などへ移築されました。現在は「伏見桃山城」として模擬天守が昭和期に建てられ、遊園地のシンボルとして親しまれた歴史があります。現在は閉園していますが、城の姿は京都市伏見区の高台に残り、市民の憩いの場となっています。遺構としては石垣や堀の一部が確認でき、当時の威容をしのぶことができます。
伏見城がある土地の名物はなにがオススメ?
伏見といえば日本酒の名産地として全国的に有名です。豊臣秀吉の時代から「伏水(ふしみ)」と呼ばれたこの地は、地下水が豊富で、酒造りに適した環境を誇ります。現在も黄桜、月桂冠、松本酒造などの酒蔵が並び、酒蔵巡りを楽しむ観光客でにぎわいます。また、伏見稲荷大社の参道に並ぶきつねうどんや稲荷寿司もおすすめです。歴史と食文化を一度に楽しめるのが伏見の魅力といえるでしょう。
伏見城に関するまとめ
伏見城は、豊臣秀吉の栄光とその最期、そして徳川の時代へと移り変わる歴史の大舞台となった城です。
豪華な文化の象徴でありながら、戦乱と忠義の物語も併せ持ちます。現在は模擬天守としてその姿をとどめ、伏見の名酒や文化とともに人々に親しまれています。
2026年大河ドラマ「豊臣兄弟」では、秀吉と秀長の関係性や政権運営の裏側を知る手がかりとして、この伏見城も重要な存在になるでしょう。歴史と現在をつなぐ伏見城は、まさに時代の縮図といえる場所なのです。
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