国の重要文化財に指定されている、
現存天守の弘前城(ひろさきじょう)では、
平成の大工事が行われています。
何の工事が行われているかというと、
ニュースでも取り上げられているとおり、
本丸の西側の石垣を約100m程度くみ直す工事です。
桜の名所にも名を連ねる弘前城で、
何が起こっているのでしょうか?
本丸の石垣が”膨らむ”異変
今回の弘前城の工事は、
”石垣のはらみ”を直すための工事です。
”石垣のはらみ”というのは、石垣の面が、
ふっくらと膨らんでくること。
石垣は、盛りあげたり削った
縄張りの稜線(りょうせん)を、
堅固にたもつために、
土の流出を防ぐ手段として組み上げるものです。
だから、石垣が膨らんでくると、
そこから崩れてしまい、
上に乗せている櫓や塀が崩れ落ちてしまいます。
建物を乗せる土台ですから、一大事ですよね。
しかも、弘前城の本丸に現存する、
層塔型三層天守に近いところなので、
何かある前に直さないといけません。
石垣を組む時は、土を固め、排水のために
石垣と土の間に”栗石”といわれる小石を詰めたり、
地盤の弱いところには杉の木を組んだりと、
崩れないような技術が使われています。
でも、雨が地面にしみこんだり、
地震で揺らされたりしているうちに、
土圧が高まって、
石垣を中から押し出そうとしてしまうんですね。
それに、弘前は寒いですから、
湿った土がさらに凍ると、
中の圧力も高くなりやすくなります。
それが長い年月を過ぎると、今回のような
”石垣のはらみ”となって表れてくるんですね。
ちなみに、弘前城の石垣は石ひとつ
1トンの重さがあるそうなので、
結構な力で抑えているはずなんです。
自然の力っていうのは計り知れませんね。
工事では、この石垣の悪いところを
すべて取り外して、組み直すんだそうで、
大変な工事ですよね。
石垣改修まえの大きな下準備
石垣の改修工事を行おうとすると、
万が一に備えて入念な準備が必要となります。
弘前城では、石垣が崩れないよう、
上のものを軽くするため、建物を移動させました。
一言で”移動”といっても、本丸の隅に建つ、
重要文化財の現存天守だから厄介ですよね。
現存天守となると、
簡単に”バラして組み立てる”わけにはいかない。
丁寧に解体し、元に戻すために、
大変な工事費がかかってしまうわけです。
そこでとられたのが、
「曳屋(ひきや)」という方法です。
建物の下にレールを敷いて、
解体することなく移動させるわけです。
解体するより、費用は断然安いそうですが、
重さ約400トンの建物を、
慎重に持ち上げての移動ですからね。
少しでもタイミングがずれてしまうと、
崩壊する危険性もあったわけです。
もちろん移動は無事に行われ、
たった70mを3か月かけて移動し終わりました。
弘前城は100年前にも曳屋で天守を移動させていて、
今回は2度目とのことですが、
今のような重機もない時代に、
先人はすごいことをしていたんですね。
天守を移動し終わったら、工事しやすいように、
本丸を囲んでいる水堀の水を抜き、土を入れて埋めます。
そうして、やっと石垣の工事ができるということで
平成29年4月9日から石垣工事が始まりました。
石垣の石もそのまま使うため、
約3,000個の石にすべてナンバーを
ふっているそうです。
ナンバーを付けているとはいえ、
戻すのもまた大変な工事だと思います。
なんだか巨大なジグソーパズルのようですね。
まとめ
弘前城の100年に1回の大改修工事は、
石垣のはらみを直すための工事です。
江戸時代から現存する天守を守るためにも
必要な工事ですが、そのために
天守を移動させないといけません。
そこで、天守は「曳屋」という方法を使って、
慎重に移動が行われました。
石垣の改修工事は、
約10年かけて組み直される大工事です。
無事に終了してほしいですね。
ちなみに天守そのものは、
平成33年を目安に、元の位置に戻されるそうです。
この時の「曳屋」もまた、見ものかもしれませんね。