熊本城の別名は銀杏城(ぎんなんじょう)、
または千葉城、隈本城といいます。
動物の名前や土地の名前というのは
よくありますが、木の名前というのも変わってますね。
どうしてそんな別名がついたんでしょうか?
築城の名手、加藤清正が植えた銀杏の木
もともと、現在の熊本城の場所には、
隈本城がありましたが、豊臣秀吉の重鎮である、
加藤清正(かとう きよまさ)が肥後に入り、
隈本城を整備、拡張して、現在の熊本城を築きました。
築城に際して、清正が城内に銀杏の木を
植えたことから、「銀杏城」という別名で
知られています。
加藤清正は、戦に長けていましたが、
文禄・慶長の役のとき、
兵糧攻めの苦しみを味わっていて、
その時の教訓を築城にも生かしました。
干瓢(かんぴょう)を壁に仕込んだり、
畳の下に里芋の茎が仕込んでいたりと、
長期の籠城でも食糧を確保できるように
していた話が伝わっています。
ちなみに、「武者返し」と呼ばれる、
高く、美しい反りのある石垣も、
文禄・慶長の役での経験から生まれました。
イチョウの木を植えた理由も、
食糧難になっても困らないよう、
ギンナンがなるイチョウの木を植えたという
通説があるのですが・・
城内のイチョウは、
すべて雄木であり、実らないとのこと。
食糧確保のため、というもっともな理由で
納得しそうですが、違ったみたいですね。
では、どんな理由で
わざわざ植えたんでしょうね?
銀杏の木の特徴に注目
銀杏の木というと、
現在でも街路樹として使われるので、
目にする機会がありますよね。
秋になると黄色に色づいて、綺麗ですよね。
雌木が植えられていれば、銀杏が実ります。
落ちた後は、
なんともいえない匂いが漂ってきますよね。
最近は、あの匂いがどうにも、
ということで、雄木ばかりが
植えられるようになっていますね。
そうした、銀杏の木について調べてみると、
木の特徴として、次のことが書かれていました。
イチョウは油分を含み水はけがよく、
材料も均一で加工性に優れ、
歪みが出にくい特質を持つ。
カウンターの天板・構造材・造作材・建具・
家具・水廻りなど広範に利用されており、
碁盤や将棋盤にも適材とされるほか、
特にイチョウ材のまな板は高級とされている。
防災
火に強い性質があるため、
江戸時代の火除け地に多く植えられた。
(wikipediaより)
過酷な状況でも育ちやすいのも、
特徴のようです。
ここから考えると、
清正公は銀杏の木を植えることで、
城内の補修や改修の際の木材確保や、
防火を目的として植えたとも考えられそうです。
まとめ
銀杏城の異名をもつ、熊本城。
築城の名手である加藤清正公が、
経験と知恵をつくして造り、
難攻不落といわれ、現在に残ります。
銀杏の木が植えられていることから、
食糧難の備えとも言われていましたが、
実がなる雌木はありません。
このことから、別の思惑から
植えられたと考えられます。
・木材確保
・延焼防止
物資の不足や火災をも想定した、
築城の名手だからこそ、植えたのかもしれませんね。
熊本地震で、熊本城は大きな被害を受けてしまいました。
復興が少しでも早く進むといいですね。