戦国の世を駆けた麒麟児、明智光秀は城を築いた?

明智光秀(十兵衛)(あけちみつひで:じゅうべい)は、令和2年( 2020年)の大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公ですね。

明智家は、美濃国(現:岐阜県)に拠点を持つ、大名の斎藤道三(さいとうどうさん)の家臣でしたが、斎藤道三と、その子、義龍(よしたつ)の内紛に巻き込まれました。

敗北した道三側に付いていた明智光秀は、明智城を奪われ、落ち延びた末、朝倉家、足利家と転々とした後、織田信長(おだのぶなが)に仕える事になりました。

後に歴史を転換させる「本能寺の変」を起こしますが、日を待たずして、羽柴秀吉(はしばひでよし)によって追い詰められ、命を落としたと言われています。

そんな光秀ですが、信長に仕えている間、城を2基築城しています。

一つは、滋賀県大津市の「坂本城(さかもとじょう)」。
もうひとつは、京都府亀岡市の「亀山城(かめやまじょう)(丹波国)」、別名「亀岡城」を築城しました。

ちなみに「麒麟児」とは、「才能・技芸が特にすぐれ、将来性のある若者」という意味があります。

安土城に次ぐ城といわれた湖の城「坂本城」

坂本城は、岐阜県大津市に存在した城で、信長が比叡山を攻略した後、光秀に命じて築城させました。

坂本城は、琵琶湖に面した地に築かれ、城内に琵琶湖の水を引き入れていたので、船で直接、安土城に向かう事もできました。

本丸は湖面に面した東側に位置し、高層の大天守と連立して小天守が建てられていたとされています。
船から見る城は、さぞ立派だったでしょう。

ポルトガルから来ていたイエズス会の宣教師、ルイス・フロイスは、”安土城に次ぐ城”として、次の様に記しています。

「明智は、都から4レーグァほど離れ、比叡山に近く、近江国の25レーグァもあるかの大湖のほとりにある坂本と呼ばれる地に、邸宅と城砦を築いたが、それは日本人にとって豪壮華麗にもので、信長が安土山に建てたものにつぎ、この明智の城ほど有名なものは天下にないほどであった。」
(レーグァ:スペイン語でlegua。”リーグ”とも。1リーグァ=1里(約4km)とされる)

この地は、北陸からの物流と、京都の東、比叡山の出入りにあたる、重要な場所にあたります。

当時は、船を使った物流が主流だったので、琵琶湖の航路を監視するにも都合がよかったでしょう。

坂本城は「本願寺の変」の後に破却されました。

今では市街地化によって遺構がほとんど失われています。

本丸にあたる場所には、測定機器メーカーの研修所があり、一般人は立ち入る事はできませんが、石垣の一部が残されています。

本丸跡の南側に、城址公園があり、駐車場もあります。
近辺には、「明智塚」や坂本城の外堀等を示す案内板も設けられており、坂本駅前の観光案内所でガイドマップを入手することも可能です。

「坂本城」
住所:滋賀県大津市下阪本3丁目2

丹波国の要所に築かれた「亀山城」

「亀山城」は、信長に丹波攻略を命じられた光秀が、拠点として築きました。

京都の西には、嵐山を隔てた盆地があり、亀山城は、その盆地中央の南寄りにあります。

この地は南北に大堰川が流れ、街道を北に行くと、舞鶴や福知山、西に行くと、篠山といった町に通じる位置にあります。

川の運輸や、街道の要所を抑える城というのがわかります。

この、光秀が築いた城は、その後天下を取る、豊臣秀吉や、徳川家康も重要視したので、改修が施され、明治時代まで残されていました。

江戸時代に改修された本丸には、五層の層塔型天守が立ち、二層の小天守と複合した、複合天守が建てられました。

大天守は、最上階に回り縁や高欄がありましたが、装飾が少ない簡素な天守だったそうです。

現在、本丸一体は、宗教法人、大本が所有する土地になっています。
遺構としては、本丸跡に、江戸時代に改修された石垣、堀が残されていていますが、遺構を見学するには受付で許可を得る必要があります。

他には、本丸跡からおよそ550mほど南に、東西に約1.5kmに渡って、総構えの跡が今も水路として残されています。

また、亀山城の移築された門が市内各所に移築され、現存しています。

・新御殿門(千代川小学校)
・明智門(桂林寺)
・城門(延福寺)
・城門(大覚寺)

他にも個人所蔵の門も存在しますが、ここでは割愛します。

「亀山城」
住所:京都府亀岡市荒塚町内丸1

まとめ

明智光秀は、信長の命により、2個所に築城しました。

・坂本城
水城で、延暦寺や北陸の街道を抑える要所に築かれました。
城内に琵琶湖の水が引き入れられ、ルイス・フロイスが「安土城に次ぐ城」と紹介しています。
現在は市街地が激しく、遺構はあまり残されていません。

・亀山城
平山城で、京都の西に築かれました。
丹波国の要の城として、後の為政者も重要視した城となり、明治時代になるまでこのされた城でした。

現在は主要部を宗教法人が所有していて、見学には許可が必要です。
その他には、総構えの跡、城門がいくつか移築されて現存しています。

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