黒い城と白い城

紅白幕
お城をめぐっていると、
色について気になったことはありませんか?

天守が全体的に黒っぽい城だったり、
白っぽかったりと、対照的な雰囲気があるんですよね。

黒い城といえば、松本城がすぐに思い付きますし、
広島城や、熊本城も黒ですね。

一方、白い天守は、姫路城や、
名古屋城がすぐに思い浮かびます。

なんとなく、
”白い城は漆喰が使われているから新しい城”
というイメージもあるんですが、
新しいから白、古いから黒というわけでもないようです。

そこに深い理由があるとしたら、
城を見る目も変わるかもしれませんね。

どうして、色の違いがでるようになったのでしょうか。

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武家にまつわる交代思想

安土城が天守の先駆けなら、
白い城の先駆けになったのが、江戸城です。

江戸城は、徳川家康(とくがわいえやす)
豊臣秀吉(とよとみひでよし)に命じられて
整備した城ですが、本格的な整備は、
秀吉が亡くなった後でした。

関ヶ原(せきがはら)の合戦後、
実質的に権力を握った家康は、
征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に就任しました。

その後、1607年(寛永期)に
天守が完成しますが、壁は一面漆喰で塗られ、
屋根は鉛瓦(なまりがわら)で葺かれ、
まるで雪山のように白一面だったそうです。

それ以降、徳川系に深くかかわる
武将の城の多くは、白漆喰で塗られました。

家康にとって”白”とは、
幕府を開くうえで意味があるものでした。

そこには、武家にまつわる
交代思想が関わっていたと思われます。

「源平交代思想」という考え方です。

源氏と平家は、共に天皇の血筋
(源氏:清和天皇、平氏:桓武天皇)から
出ている家系ですが、この”両家が交代で、
武家政権を率いる”というのが、源平交代思想です。

源氏と平家は互いのカラーがあり、
源氏が白、平家が朱色と決まっていました。

現在でも、運動会などの対抗戦で、
紅白に分かれるのは、源平を表しているんですね。

この交代思想を元に、家康は白い城を建てたと考えられます。

家康の前に権勢を握ったのは、
豊臣秀吉ですが、彼は信長の後継者を
補佐する立場として跡を継いだ関係上、
平氏や源氏を名乗ることはできませんでした。
(一時自称していますが、正式に認められていません)

織田信長は、平氏を名乗っていたため、
朱色がカラーとなります。

安土城では、四層目に朱色を用いていますね。

その後に築かれた天守も、
黒漆塗りの下見板張りで壁を覆い、
漆喰は一部のみの”黒い城”が主流でした。

跡を継いだ秀吉は、
さらに黒みがかった城を建てるようになっていきます。

秀吉が黒い城を建てる理由はいくつか考えられ、

ひとつは金箔を好み、金が映える黒を
好んだからという理由。

もう一つは豊臣姓としての公卿の色を
意識したという理由です。

奈良時代以降に律令が定められましたが、
朝臣の正装の色彩として黒が定められていました。

その色を意識したと考えられます。

主流だった、豊臣系の黒い城に対して、
信長の跡を継いだ豊臣を倒したのち、

征夷大将軍に任命されて、
名実ともに武家の棟梁となった徳川家康には、
源氏の色である”白”にこだわったのです。

”幕府を開く、征夷大将軍の陣営場所
(江戸城)は、源氏の旗の色である
白で囲まれているべきである”
と。

実際に、そう考えたかどうかまでは
わかりませんが、江戸城が白を基調としたことや、
以降の徳川系の城が白くなっていることをみると、
あながち外れではないように思えます。

そう考えると、豊臣の城であった大阪城を、
大阪の陣のあと徹底的に埋め立て、
漆喰で覆われた白い天守に建て替えたのもうなずけます。

家康がこだわった白い天守の行方

漆喰壁は、下見板張りに比べると、
手間や材料費もかかり、すぐに黒ずんだり、
水分で割れてしまうため、
維持費もかかってしまうんですよね。

そういった事情もあってか、
家康が建てた江戸城の天守は、
ニ代将軍の秀忠(ひでただ)の代になり、
本丸拡張の際に解体され、新しい天守が建てられました。

一説によると、この時解体された天守は、
大阪城に運ばれ、規模を小さくして移設されたそうです。

現在復興されている大阪城は、
4層目までを徳川の天守を模したものになっていて、
5層目を秀吉時代を模したものとなっており、
非常にユニークな天守となっています。

秀忠の建てた天守は、寛永九年に描かれた
「武州豊島郡江戸荘図」に残っており、
黒漆塗りの天守だったようです。

しかし、三代将軍家光(いえみつ)になると、
ふたたび建て替えられました。

家光の建てた天守は、
銅板が多用されていたようで、
耐火性能が非常に優れていたそうです。

まとめ

城には白を強調した城と、
そうでない下見板張りの黒い城に大別できます。

下見板張りの城のほうがやや古く、
新しいから白くしたようにも思えますが、
深い意味もありました。

「源平交代思想」です。

武家の棟梁となった家康は、
源氏の色として、白を強調した城を築きました。

しかし、漆喰の壁はメンテナンスを
頻繁におこなわなければならないため、
二代将軍秀忠のになると、建て替えられてしまいます。

形こそ違いますが、姫路城のような
真っ白な天守だったのかもしれませんね。

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