500年存続した井伊谷城とは?

女城主 直虎

いま、井伊氏が注目を浴びていますね。
もちろん、ドラマ「女城主 直虎」の影響です。

これまでは、井伊といえば
井伊 直政(いい なおまさ)”が、
”彦根城城主”や、”井伊の赤備え”として有名でした。

他には、安政の大獄の
井伊 直弼(いい なおすけ)”ですね。

彦根藩の井伊家は、江戸時代を通して、
直弼のような、大老職につく人物を多く輩出しています。

ドラマ「直虎」は、その井伊直政の少し前の時代が
舞台になっています。

彦根に入る前の井伊氏は、
遠江国の井伊谷城(いいのやじょう)
本拠地がありました

どんな城だったのでしょうか?

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地形からみる井伊谷城

井伊氏の本拠地であった、
井伊谷城(いいのやじょう)は、
現在の静岡県浜松市北区引佐町にありました。

北区のほぼ中央に位置し、
竜ヶ石山から南東に延びるように
小さな山の背が形成され、その先端に位置します。

東に井伊谷川が流れ、南と西は比較的狭い平地が広がり、
西の平地の先にも川が流れ、
東西の川は南方の平地の先で一本に繋がります。

北には山があり、東西と南は、
さきほどの、井伊谷川に囲まれた山里に位置します。

東西の川の向かいは丘陵があるので、
大軍に囲まれる心配はありません。

城を築くには向いている地形といえるでしょう。

井伊谷城が築かれた山は、標高が100mほどあります。

本丸からの眺望は、東西と南は見晴が良く、
見張りをするにも最適な場所です。

一説によると、井伊氏はこの井伊谷城で
生活をしていたそうですが、
日々の往来には不便ですし、麓に居館跡があるので、
麓で生活をしていたでしょう。

ただ、日頃から見張りをたてて、
交代で詰めていた可能性はありますね。

現在は、ドラマの効果もあって、
本丸跡へ上る道が整備されています


<井伊谷城>

歴史からみる井伊谷城

井伊氏が井伊谷城を築いた歴史は古く、
平安時代にまで遡ります

それから井伊直政(いいなおまさ)の時代に
徳川家康の配下となり、1600年頃に彦根に移るまで、
井伊谷城を本拠地として続いていました。

およそ500年だそうです。

井伊谷城はその頃に廃城になりましたが、
廃城から現在までが400年と考えると、
とんでもなく長い期間、存続していたんですね。

すごいことです。

縄張りは、本丸、二ノ丸、三ノ丸で構成されていました。

井伊谷城がどんな姿をしていたのか、
建物が残っていないので、わかりません。

建物の姿は分かりませんが、とうぜんながら、
時代と共に変化していったことでしょう。

南北朝時代には、南朝方に付き、
北朝方の高師泰(こうのもろやす)・
仁木義長(にっき よしなが)らに攻められ、
一度落城しています。

その後は、やはり北朝方で、
遠江を支配する今川氏の配下となり、
井伊谷城で存続することになります。

井伊氏ゆかりの場所

井伊谷城の南方の、ほど近い場所に、
”滝澤寺”というお寺があります。

ここは、直虎が滞在していた場所でもありますが、
いざという時には出城の役割を果たしました。

またその裏に”井伊谷宮”があります。

南朝の後醍醐天皇の王子
宗良親王(むねよししんのう)
を御祭神とする神社です。

井伊氏は親王と深いつながりがあり、
この地にお迎えした歴史があります。

井伊谷城と共に、訪れたい場所です。


<滝澤寺・井伊谷宮>

まとめ

井伊氏が彦根に移るまで、
本拠地にしていた”井伊谷城”は、
山里のような地に築かれました。

そこで500年にもわたって、
領地経営をおこなっていたんですね。

現在は歩道が整備されていて、
城跡には比較的簡単に到達できます

ただ、勾配はキツいので、
足腰に不安のある方は要注意です。

専用駐車場はありませんが、
近くの引佐図書館や、引佐多目的研修センター
地域遺産センターといった施設の
駐車場を借りられるようです。

城の南方、井伊谷川を超えた所にある
”滝澤寺”には駐車場があり
売店や食事処もあります。

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