山城って、なぜ不便な場所に城を造ったの?

山城竹田城

中世を通して活躍してきた”山城”

広い敷地をもち、石垣で堅めた、
近代城郭とはまた違った良さがあります。

でも、どうしてわざわざ不便な山に
城を造ったのでしょうか?

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山城築城の欠点と利点

中世の武士は、平野部に居館をたて、
普段はそこで生活し、いくさになると、
立て籠もるための”詰めの城”として
山城を造り、そこで抵抗しました。

でも、山城に立てこもるのはとても不便に感じますよね。

高い山に城を造ると、城に向かうまでが大変ですよね。
水の確保も大変ですし、
囲まれたら逃げ場が無いようにも思います。

しかし、山城には、平城にはない利点もあります。

山の尾根を利用すれば、堀を切って、
曲輪を造成することは容易です。

単に簡単というだけでなく、
少ない人数でも整備できます。

中世の武士は、近世城郭にみられる
巨大な城郭が築けるような、
大人数を集められるわけではありません。

地方豪族でもそれなりに詰めの城を持てたのは、
山城だったからといえるでしょう。

傾斜を利用して陣地を目一杯利用するために、
石垣を積む技術も発達しました。

戦における山城の役割

戦いになったときも、山城は有利です。

飛び道具の、弓矢や鉄砲は、重力の影響を受けます。

下から撃ちあげるより、上から撃ち下ろすほうが
飛距離が伸びます。

相手の弓矢が届く前に先制攻撃ができることは、
とても重要なことでした。

余談ですが、戦の時、兜に大きな鍬形を付けたり、
旗を差しますが、相手に大きさを見誤らせるためでした。

体を大きく見せることで、距離感覚を狂わせ、
まだ射程に入る前に、相手に撃たせる目的があるのです。

飛び道具以外にも、高さを利用して、
石や丸太を落とすことができますね。

現に、千早城に立て籠った楠木正成は、
何倍もの差がある鎌倉幕府軍に対して、
高さを活かした攻撃で寄せ手を引かせました。

山城を築き、戦いを山地で行うことは、
田畑を守ることにもなりました。

そもそも、武士は田畑を含めた財産を守るための
武装集団です。

米やその他の食料品は、徴税の対象でもあり、
民の生活を支えます。

むやみに田畑に近いところに築城すれば、
戦で荒らされてしまうのは明らかです。

民が戦禍から逃れるためにも、山城は都合が良いのです。

もし、相手が攻めあぐねて、
城を無視しようとするものなら、
ただちに打ってでることも可能です。

高さを利用し、スピードをつけて敵の後ろや
横から突けば、相手は総崩れとなります。

混乱すれば、指揮が行き届き、士気の高い方が有利です。

そうして寄せ手にダメージを与えれば、
さらに士気は落ち、離反する者も現れます。

籠城した相手を攻めるには、
数倍の兵が必要といわれるのは、
こういったいろいろな利点が山城にはあったからですね。

まとめ

山城は、中世に考えられた、優秀な防御施設でした。

少人数でも築城でき、最大限の打撃を
与えることができます。

そこには、政治的な象徴である天守など不要で、
実践を意識した姿がありました。

しかし、戦国期に入り、組織の規模が大きくなると、
平地や丘を利用し、大人数を動員して縄張りをする、
近世城郭が発展します。

山城では、兵を収容する場所が手狭になり、
戦いづらいからです。

時代と共に状況が変わると、必要とされる城の形も
変わっていく
んですね。

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