「最も勝れた城」仙台青葉城とは

仙台城隅櫓

JR仙台駅から、約3kmという近場ある仙台城は、
別名”青葉城”と呼ばれます。

ある人物から「最も優れた城」と評された仙台城は、
どんな姿をしていたのでしょうか?

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丘陵群を活かした要害

仙台城は、奥羽山脈(おううさんみゃく)に連なる
丘陵群の東端に位置する”青葉山”に造られた城です。

本丸の標高は約115mで、本丸の東は、
広瀬川に削られた断崖が迫っていて、
大手町付近との高低差は約85mあります。

広瀬川は、城の北西から流れて、
北から回り込むように城の東崖のすぐ下を通り、
南東に流れ出ています。

川の蛇行は激しく、その複雑な流れが、
天然の水堀を形成しています。

城の南側には、竜ヶ口渓谷があり、
天然の深い堀になっています。

西は丘陵が続きますが、入り組んでいて、
攻め込むには困難を極める、
”要害”という言葉がぴったりの地形です。

高い高低差を利用して、本丸の北側に石垣を積み上げ、
その麓に二の丸、三の丸を備えていました。

仙台城の本丸には、天守台はあったものの、
天守が建てられたことはありません

これは、伊達政宗(だてまさむね)が築城したとき、
江戸幕府への忠誠を示すため、
わざと建てなかったのだと伝えられています。

本丸には四隅に櫓が建てられ、
御殿も建てられていました。

この御殿の一部は、京都の清水寺のように、
崖に張り出すように造られていました。

有事の際には、ここから矢や鉄砲を撃ちかけることが
できたそうです。

スペインの探検家、ビスカイノが仙台城を訪れたとき、
この城をみて次の言葉を残したそうです。

城は日本の最も勝れ、最も堅固なるものの一にして、水深き川に囲まれ断崖百身長を越えたる厳山に築かれ、入口は唯一つにして、大きさ江戸と同じくして、家屋の構造は之に勝りたる町を見下し、また2レグワを距てて数レグワの海岸を望むべし
(レグワ:約5500m)

城の堅牢さを測る基準は、
世界共通ということなんでしょうね。

伊達者が整備した城

仙台城は伊達政宗(だてまさむね)によって
整備された城です。

伊達政宗は、強豪がひしめく東北の地で頭角を現し、
強敵の蘆名(あしな)氏を破ります。

福島県、会津県、山形県、宮城県にまたがる
広大な領国を経営するようになりました。

政宗は幼少のころの病気で、右目が見えず、
独眼竜(どくがんりゅう)”政宗とも呼ばれました。

政宗の東北での動きに、豊臣秀吉(とよとみひでよし)
は警戒するとともに一目置くほどで、

北条氏に対する小田原攻めは、
伊達氏を調略するためのデモンストレーションが
盛り込まれていました。

政宗が秀吉の命で上洛した際には、
伊達の軍勢は絢爛(けんらん)な衣装に
身を包んでいたそうです。

それを見た道中の人々は息を飲むほどで、
そこから”派手な衣装を好んで着こなす人”を
「伊達者」と呼ぶようになりました。

政宗が没すると、二代・忠宗(ただむね)は二の丸、
三の丸を整備し、現在の縄張りを完成します。

見晴のよい本丸広場

現在は、本丸に護国神社や資料館、政宗像があり、
ここから仙台市を一望することができます。

搦め手口には駐車場が整備されているので、
登城は楽です。

当時の建物は明治以降の廃城令や戦禍に会い、
残っていませんが、大手口に
大手門脇櫓”が復元されています。

脇櫓から道路を挟んだ反対側には、
石垣があり、その昔、大手門を支えていました。

立派な大手門があったことがうかがえます。

仙台の七夕祭りでは、この本丸で、おもてなし集団の
伊達武将隊」による演武が披露されます。

仙台城

まとめ

仙台城は、丘陵を利用し、川や崖を利用した、
天然の要害です。

最も最も勝れた城”とも評されますが、
実戦で使われることはありませんでした。

JRの駅から3キロ程度と、
比較的近い距離にあるので、
電車でも訪れやすい場所です。

毎年、旧歴の7月7日に近い、
8月6,7,8日に”仙台七夕祭り”が行われ、
本丸広場では、イベントが行われるなど、
市民の憩いの場でもあります。

仙台七夕祭り

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